あなたは、瞑想をしたことがありますか? 瞑想って、何か心や精神状態に良さそうだけど、瞑想を実践すると、実際には何が得られるのでしょうか? 瞑想の本当の効果とは?
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こんにちは、佐藤康行です。

「一瞬で宇宙とひとつになる真我瞑想」
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本日は「瞑想の意味 第二項 在る「愛の光」」です。

愛の光」とは、無限の愛です。

 それは、ただの愛でも、ただの光でもありません。「愛の光」なのです。
ただ愛というと、親しい人に感じる愛のことを思い浮かべがちです。いわゆる情愛です。
また、ただ光というと物理的な光線をイメージすると思います。
「愛の光」とは、情愛とは異質の、無限の愛、神の愛、真我の愛を示すための表現なのです。

この無限の愛は、有限の愛が「無い」という真実の確認を通路として、認識することができます。有限の愛が「無い」ことをとおして、無限の愛が「在る」ことに気づくことができるのです。

では、これから有限の愛から無限の愛にいたる道程をたどっていきましょう。

 私たちは常に愛の不足に悩みます。生活の多くのエネルギーを愛の獲得に注ぎこんでいるにもかかわらず、充足されず絶望する。この繰り返しが人生であるといっても過言ではありません。

 こうした愛の不足による私たちの苦しみは、すべて愛の極端な有限性に起因するといえます。それは、私たちが他者に与える愛の有限性であり、また何よりも他者から与えられる愛の有限性です。

 恋愛感情の儚さはその最たるものでしょう。「女心と秋の空」と言いますが、女性だけではありません。女性ももちろん男性も、日々刻々と恋する気持ちは揺れ動き、ちょっとしたことで脆くも崩れ去ります。

 恋愛感情ばかりではありません。友情も同じです。どんなに仲の良い親友同士でも、環境が変わってとたんに疎遠になることは珍しくありません。それどころか、「昨日の友は今日の敵」とばかりに、一瞬にして険悪な関係に陥ることもままあります。

 家族愛はどうでしょう。愛情はあっても、それが屈折し、変質し、強烈な憎悪に変わることもしばしばです。愛が憎しみに変わり、殺し合いになることもあります。

 私たちが願ってやまない愛し愛される理想的な関係が長く続くことは、残念ながらあまりないようです。

 世界は、無常です。その無常な世界でも最も変わりやすいのが人間の心であり、心の中でも最も脆い存在が、愛の感情ではないでしょうか。

 私たちが最も必要としているものは、世界で最も脆く移ろいやすく儚いものなのです。
 私達にとって、愛という感情の中心には、その愛の対象を所有したい、自分のものにしたいという思いがあります。


では、いったい愛とは何か?

明日お伝えいたします。
楽しみにしていてくださいね!




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【2012/12/28 19:37】 | 瞑想の意味
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こんにちは、佐藤康行です。

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本日は「瞑想の意味 第二項 在る」です。

前回までは、「無い」という真実を確認しました。
本日からは、「在る」という真実に移ります。

「無い」ということと「在る」ということは、正反対の言葉です。
ですから、この二つがともに真実であると言われると、矛盾しているように感じるのが普通だと思います。

しかし、それは実は矛盾しているわけではありません。

私は、「有る」と「在る」という二つの言葉を区別しようと思います。
「有る」とは、形をなして場所を占めるということです。

それに対して、「在る」とは、何かが「有る」ことができる場所が広がっているということです。

「無い」という言葉に意味的に対立するのは、「有る」という言葉です。
「無い」とは、形をなして場所を占めるものが存在しないということです。

 ですから、場所を占めて存在するものが無くても、場所は在り続けます。
「無い」と「在る」は対立する言葉ではありません。

 むしろ、「無い」ことによって、「在る」ということが明らかになるそういう関係があります。「無い」という真実を経由して、「在る」という真実に到達することができるのです。

「在る」ということは、何かが形を成して場所を占めることを可能にする存在がそこにあるということなのです。

 つまり、それは全ての存在を支える存在であり、全ての存在の実体です。
それは、諸行無常の世界のなかで、変わらず存在し続けているものなのです。
 では、「在る」ものとは何か。

「在る」ものとして、私は三つの表現を対応させたいと思います。
それは、「愛の光」「神の生命」「真我」という三つの表現です。

「愛の光」「神の生命」は、「真我」の実践的表現です。
本項では、「無い」の先に「在る」ものを、明らかにしようと思います。



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【2012/12/27 19:31】 | 瞑想の意味
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こんにちは、佐藤康行です。

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本日は「「無い」という世界を、真我瞑想を通して体感されたHさんの体験談」です。

この「無い」という世界を、真我瞑想を通して体感されたHさんの体験談をご紹介しようと思います。茶道の先生だったHさんは、茶道の精神と真我瞑想の「無い」という世界との共通性を気づいたそうです。

「43年間、がむしゃらにやり続けた茶道を今はやめているのです。がむしゃらに家で夜中にお釜をかけてやるお茶をやらなくてよくなっているのです。

無念夢想、無の世界に入っていく。それと瞑想がまったく一緒だった。そのために私は今までお茶にがむしゃらにしがみついていたのかな。

お茶は10代からやっていました。何かに追われているというか、心が落ち着かなかったのだと思います。

父の具合が悪かったり、いろいろと考えてしまう状況の中で、お茶に逃げていたのかもしれません。

お茶をやっているときだけが何も考えなくていい、無念無想になれたのです。
『お茶きちがいのHさんがお茶をやめているなんで何故?』と言われます。でも今、すごく心が穏やかなのです。

お茶に没頭していたときと同じ様な感じなのです。
私も恩師もおっしゃっていましたが、無の世界に入る『色即是空 空即是色』、その言葉の通りかなと感じています。

私も学生時代から鎌倉で座禅を組んだりもしましたが、そのときは『ねばならない』でやっていたのかもしれません。
真我瞑想は自然にやっています。今、すごい楽です。

突き詰めていくと、お茶の精神と真我瞑想は非常に似ています。

私からお茶を取ったら何が残る、というくらいお茶しか知らない人間でしたから、今でも『いつからまた始めるんですか?』とお弟子さんたちは言ってくださります。だけど、今度はお茶は教えるのではなくて楽しみながらやろうかと思っています。
好きなときにお道具を出して、やったらいいのかなと思っています」

 Hさんが体感しているこの「無い」という世界こそ、現実生活において我々を幾重にも覆い包む妄想を鋭く破る剣の切っ先であり、真実の認識の土台といえます。


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【2012/12/26 19:27】 | 瞑想の意味
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本日は「般若心経の「色即是空」「水」と「空気」と「心」という三つの比喩「心」について」です。

三つ目の比喩は、「心」です。

私たちの心は、自由自在です。
心は、水や空気以上に時空間の制約を受けません。空を飛び、地に潜ることができます。過去や未来に移動することもできます。

また、心の状態は一瞬でさまざまに変わります。ちょっとしたことで明るくなったり暗くなったりしますし、善にも悪にも染まります。

私たちの心の中ではさまざまな思いが、常に生まれては消えています。
そうした心の奥に魂と呼ぶべき心の本体があります。それは、まさに「色即是空」の世界です。

この世の中で、常に留まっているものはただの一つもありません。仏教ではそれを無常と言います。

先ほどのアナクシメネスと重なる時代を生きた古代ギリシアの哲学者ヘラクレイトスも、「同じ河に二度入ることはできない」と万物流転の思想を展開しています。
すべては常に変化しているのです。

止まっているように見えても、少しずつ変化しています。存在するものは、消えてつつあるのです。


明日は、この「無い」という世界を、真我瞑想を通して体感されたHさんの体験談をご紹介しようと思います。
楽しみにしていてくださいね!



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【2012/12/25 19:23】 | 瞑想の意味
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こんにちは、佐藤康行です。

「一瞬で宇宙とひとつになる真我瞑想」
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本日は「般若心経の「色即是空」「水」と「空気」と「心」という三つの比喩「空気」について」です。

 二つ目の比喩は「空気」です。

タレスと同じく古代ギリシアの哲学者、アナクシメネスは、世界の根源を空気であると考えました。

 死者は呼吸しませんから、生命の根源は息であると考え、そこから類比的に、世界の根源は風を運ぶ空気であると考えたのです。

空気は水よりもさらに自由自在なあり方をしています。空気は水のように常に低きに流れることもありません。
というよりも、空気はどんな所にもすでにあります。

机やタンスのの引き出しを開けても、その中にすでに空気が入っています。いたる所に空気が存在していて、その空気によって私たちは生命を維持しています。

水のようにどんな場所に移動させてもその場所に合うというよりも、最初からそれぞれの場所に合った状態で、あらゆる場所に存在しているのが空気です。

さまざまな形でいたるところに存在する空気は、「色即是空」を理解するのに手がかりになるイメージを提供してくれます。

三つ目の比喩は、「心」です。


明日は、般若心経の「色即是空」二つ目の比喩は「心」についてお伝えいたします。
楽しみにしていてくださいね!



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【2012/12/24 19:13】 | 瞑想の意味
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